仏教はいかにして誕生したか?仏教が生まれた流れを分かりやすく解説!

 

仏教と一口に言っても、ただ一つの考え方があるのではありません。

実は時代や場所によって様々な思想、教えがあります。

例えば、中国仏教と日本仏教とチベット仏教では全然違います。これは地域ごとの差ですし、

その上日本でも浄土宗とか臨済宗とか、いくつかの宗派に分かれますよね。

時を経て、別の地域に広まるにつれ、その土地の土着信仰であったり、その時代に求められる考え方に適応していったのです。

つまり仏教は結構幅の広い宗教と言えますし、裏を返せばそれだけ仏教が変化に対して寛容であったとも言えます。

 

そうなると、今自分が一番身近に接している仏教は何なのかとか、どこまでが日本の仏教なのかとかがとても分かりにくいんじゃないかと思います。

そこで、まずは一番最初に釈迦が説いた「初期仏教」をさらっと見てみることをおすすめします!

初期仏教の教えは、あらゆる仏教に通じています。

現代の仏教を知るにしても、まず初期仏教を知って、それがどのように変化したかを考えればより深く仏教の世界を味わうことができます。

今回はその初期仏教がどのように誕生したかの流れについて簡単に解説します!

仏教の始まりや現代の仏教のルーツを知りたい人はざっと読んでみてください!

 

仏教ができるまで

簡単に書くと、

1.釈迦が王子として生まれる

2.世の中の苦しみについて考えて出家する

3.めちゃくちゃ修行する

4.修行意味ないわって考え直してやめる

5.菩提樹の下で瞑想して悟りを開く

6.神様に勧められて教えを広める

って感じです。超簡単に書きすぎて怒られそうなので詳しく見て聞きます。

 

仏教は釈迦が開いた

仏教は紀元前5世紀頃、釈迦という人が開いた宗教です。

今で言うインドのあたりで興りました。

釈迦っていう呼び方にも色々あるんですけど、とりあえず「仏教の開祖は?」と聞かれたら「釈迦」って言えば正解です。

釈迦ががんばって修行していろいろ考えて、悟りを開き、それを弟子たちに伝えたのが今に続いているわけです。

 

釈迦が生きていた時代から、釈迦が死んで100年くらいの間を初期仏教(Early Buddhism)といいます。

最初期の仏教なので、初期仏教というそのまんまのネーミングですね。

他にも原始仏教と言ったりもしますが、原始人みたいに、未開なニュアンスが含まれる気がするので、ここでは初期仏教と呼ぶことにします。

その後の仏教は全て、この初期仏教から派生したものと考えられます。一番の大元ですね。

 

釈迦の本名

釈迦さんというのは敬称みたいなもので、本名はゴータマ・シッダールタといいます。インドの人です。

お釈迦さまとかはよく聞きますけど、本名の方はあんまり馴染みがないですよね。

じゃあなぜ本名でなく、釈迦と呼ぶのでしょうか。

 

「釈迦」というのは古代インドのサンスクリット語から来ています。

彼は当時の小国、「シャークャ国」の王子でした。

「シャークャの聖者」という意味のサンスクリット語は、「シャークャームニ」と言うらしいのですが、そこから、

シャークャムニ→しゃかむに→釈迦牟尼(しゃかむに)

となったという経緯があります。

つまり、釈迦牟尼というのは尊称で、それを省略して今ではみんなお釈迦さまお釈迦さんと呼ぶわけです。

 

こういう風に、サンスクリット語など別の言語の音を、中国の人が真似て漢字に置き換えることを、音写といいます。

 

ちなみに、「釈迦牟尼」に敬称である「世尊」をつけて、「釈迦牟尼世尊」と呼ぶこともあります。

そうしたときにそれを省略して釈尊とか世尊とか呼ぶこともあります。名前が複数あって超ややこしいですね。

 

釈迦と仏陀はどう違うのか

釈迦=仏陀

仏陀というのはサンスクリット語で「悟った人」を表す語の音写です。

基本的に仏陀と言ったら釈迦のことだと考えていいと思います。

つまり、釈迦が悟りを開いて仏陀になったので、仏教で仏陀と言えば釈迦のことになります。

 

他に悟りを開いた弟子がいるのですが、阿羅漢と呼ばれたり、仏陀とは区別されることが多いです。

 

広義の仏陀

実際は仏陀という言葉が、仏教以前の古代インド宗教で使われていたことが知られています。

つまり、元々あった「悟った人」という敬称としての仏陀が、仏教において悟った釈迦の固有名詞として後から定着したのだと考えられます。

したがって仏教は、仏陀(=釈迦)を信仰する宗教でありながら、また仏陀(=悟った人)を目指す宗教でもあると言えます。

ゴータマ・シッダールタ=釈迦=仏陀を他の仏陀と区別するために、ゴータマ・ブッダという風によく言ったりもします。

 

王族としての釈迦

釈迦は紀元前5世紀くらいに、インドのシャークャ国という王国の王子として生まれました。

父親はシュッドーダナ王といいます。母親はマーヤーさん。

この時点で主人公感がすごいですね。

しかし母親は釈迦が物心付く前に亡くなっています。

 

釈迦が生まれたときのエピソードとして有名なのは、「母親の脇腹から生まれた」とか「生まれてすぐ7歩歩いた後、天地を指さして天上天下唯我独尊と言った」とかそういう伝説があります。

史実でないことは明らかですが、有名なので紹介しておきます。

 

仏教というと、厳しい修行をして贅沢から遠ざかることで自分を律するみたいなイメージがあるかもしれません。

お寺の修行や戒律、精進料理なんかを思い浮かべていただくと、王族の華やかな生活とはかけ離れています。

しかし、釈迦のスタートはそれとは逆で、とても恵まれた環境に育ったようです。

宮殿を与えられ、高級な衣服を身にまとい、教養もばっちり。美人のお嫁さんを貰い子供にも恵まれる…という中で成長していきます。

イージーモードですね。

 

四門出遊

そのような環境で育った釈迦は、後に出家して修行の生活に入ることになります。

でも、出家したらその暮らしを捨てることになるのですから、これほど恵まれた生活を脱するのってなかなか勇気ある決断ですよね。

なぜ釈迦が出家したのかということに関して、四門出遊という伝説があります。

 

釈迦が城の東の門から遊びに行こうとすると、今にも死にそうな老人を見つけました。

釈迦は誰もが老いていくのを考えると胸を痛め、遊びに行くのをやめました。

別の日、釈迦が南の門から遊びに行こうとすると、道端に転がる病人を見つけました。

釈迦は誰もが病気になりうることを考えると胸を痛め、遊びに行くのをやめました。

また違う日、西の門から遊びに行こうとすると、死者の葬列に出会いました。

釈迦は誰もがいずれ死んでしまうことを考えると胸を痛め、遊びに行くのをやめました。

しばらくして、北の門から遊びに行こうとすると、道を歩く修行者をみつけました。

その修行者の、世俗的な欲から離れた姿があまりにも立派に見えたので、釈迦は出家する決心をしました。

という話なのですが、これが本当にあったかなかったかは一旦置いておくとして、

王子としての生活に満足せず、この世の苦しみに目を向け思索する、釈迦の人となりがよく分かるエピソードだと思います。

 

僧としての釈迦

釈迦が僧として出家したのは彼が29歳の頃だとされています。

家庭をもち、子供までいるのに逃げ出すような形で国を出たと言われています。

これは現代的な価値観でいうとなんか無責任な気もしますが、真理を悟り人を救うための旅なので余計なことは考えないようにしましょう。

 

マダガ国での修行

自国を出た釈迦は、同じくインドの東にあるマダガ国へと向かいました。

マダガ国は当時のインドでは最も力が強く、その首都ラージャグリハでは多くの出家者が修行していました。

釈迦もそこで修行をするつもりだったのです。

マダガ国の王は、シャークャ国の王が来たというので国での地位を約束しようとしましたが、釈迦は突っぱねたようです。修行しに来ているので当たり前ですが、それほど意志が固かったということでしょう。

 

ラージャグリハでは釈迦は二人の仙人に教えを受けます。

一人目、アーラーラ・カーラーマという仙人のもとでは、「無所有処」という境地に至る修行をしました。

無所有処は、煩悩のない心の中になにもないという状態を表します。

釈迦はこれをすぐに会得してしまいます。

二人目、ウドラカ・ラーマプトラという仙人のもとでは、「非想非非想処」という境地に至る修行をしました。

非想非非想処も心の中になにもないことです。一緒じゃないかと思うかもしれませんがこっちの方が更に何もないです。

釈迦はこれもすぐに会得してしまいます。

普通ここまでできたらめちゃくちゃすごいんですが、釈迦はそれでも悟りの境地を得たとは考えず、更に苦行を続行します。

前正覚山(ぜんしょうがくせん)という山で、すでに修行していた5人の修行者と一緒に苦行を積みます。

苦行のひとつに断食というのがありますが、そのせいで釈迦は骨と皮だけになりながら瞑想します。その姿が仏像として残ってもいますが、ガリガリでちょっと怖いです。

 

苦行放棄と菩提樹での悟り

死ぬ一歩手前まで修行した釈迦ですが、結局修行をぱたりとやめてしまいます。

極端な修行によって自分を痛めつけても、悟りへの道は開けないと考えたからです。

勿論、修行をやめたことについて非難の声も上がりました。しかし、釈迦はそれに耳を貸さず、自分の考えで山を下りました。

 

山を下りると、アシヴァッダの樹の下で、座禅を組んでひたすら瞑想します。

瞑想中には様々な煩悩が現れましたが、それに打ち勝ち世界の真理について考え続けました。

7日間、瞑想を続け、ひたすら考え続けた結果、釈迦は悟りを開き、仏陀になりました。

仏陀というのは、上にも書いたように「悟った人」という意味です。

なので、釈迦が最初から仏陀だったのではなく、菩提樹の下で瞑想し、世界の真理を悟ったために仏陀になったわけです。

仏というのも仏陀の略称です。(後々仏がいっぱい作られるので、今日仏さんといったときにゴータマ・ブッダだけを指すとは限りません。)

 

アシヴァッダの樹は、サンスクリット語の悟りという意味の「ボーディ」を音写して、菩提樹と呼ばれるようになりました。

仏陀が悟りを開いたのは12/8ということになっていて、彼が35歳の頃です。

この12/8は記念日的に「成道会」と呼ばれて、お寺などでは法要がなされます。キリスト教でいうクリスマスとかイースターみたいなもんです。

 

梵天勧請

めでたく仏陀となった釈迦は、あらゆる煩悩から開放され、この世の真理を会得したわけです。

これは釈迦が目指していたところに到達したことを意味しますが、一方で、それを民衆に広めるのは無理があるんじゃないかとも思ったようです。

中阿含経によれば、

苦労して会得したものを、なぜ私が説かなければならないのか
貪(ラガ)と瞋(ドーサ)に支配された人々が、この法をよく悟ることは難しい

とあります。

「折角悟ったのに誰にでも教えられるわけねえよ」ってことでしょう。

もっと言えば、「あんだけ苦労して悟ったんだからお前ら民衆には言ってもわからんだろう」ってことでしょう。

おまけに、解脱して仏陀となった上、そのまま死ねばついに肉体的な執着からも開放されるわけですから、もうこのまま生きることを終わりにしようとも思いました。

宗教といえば、イエスのキリスト教みたいに、「神はあなた方を救ってくださいます」的な救済のイメージがありますが、少なくとも最初の仏陀は自分が悟ったしもういいから死のうと思ってたみたいです。

そういう意味では割と自分勝手に見えます。

 

この時の有名なエピソードに「梵天勧請」というのがあります。

もう死のうとしていた仏陀に、インドのバラモン教の神が降りてきて、悟りを教えとして民衆に広めるように要請したといいます。

なんで仏教なのにバラモン教の神が出てくるのかというちぐはぐ感はありますが、当時は実質仏教はまだ成立前ですし(仏陀が一人で悟っただけですから)、圧倒的にバラモン教の世界です。

そのため、仏教の中にバラモン教の要素はかなり入ってきていると思われますし、そういう背景抜きには成立し得なかったとも言えます。

 

ともかく、梵天の勧めで仏陀は自分の悟りを教えとして広めることを決心しました。

仏陀はまず、前に教えを請うた二人の仙人、アーラーラ・カーラーマ(無所有処の人)とウドラカ・ラーマプトラ(非想非非想処の人)に説こうとしましたが、その頃には二人は亡くなっていたので、残念ながら再び会うことはできませんでした。

そこで、前に山ごもりで一緒に修行をした5人の修行者に教えを説くことにしました。

5人はまだ生きており、仏陀の弟子となったので、ここで初めて仏教教団が成立しました。

教えの内容

仏陀や他の仏が説いた教えのことを法門といいます。

仏教には法門が八万四千あるとされています。

これは実際に数が84,000なのではなくて、とても多いということを表しているに過ぎません。

八百万も8,000,000じゃなくてやおよろずですから、その類です。

何にしろめちゃくちゃ多いので、代表的なものを簡単に紹介しておきます!

中道

今まで見てきたように、釈迦はまず王族として裕福な環境に生まれました。

その次に、出家して過酷な修行を積みました。

つまり、贅沢な快楽的な暮らしと、厳しい苦行の暮らしを両方経験した人物です。

贅沢な暮らしと厳しい暮らし、人間にとってどちらが良いものなのかを仏陀は考えました。

 

両方を経験して、最終的に仏陀が導き出した結論が、「中道」です。

これは、極端な快楽的な生活も、あるいは極端に自分を痛めつける修行も、どちらも無益であるという考え方です。

両極端のどちらでもない、真ん中の道という意味ですね。

ひたすら修行を頑張れば上手くいくわけでも、栄華を極めて贅沢を重ねればそれでよしというものでもない。

これはそのどちらもを経験した仏陀ならではの思想だと思います。

 

一見すると、宗教には修行がつきものというイメージがありますよね。

キリスト教でさえ、禁欲というある意味の修行が課せられます。

しかし、仏教の一番最初の仏陀の思想は極端な修行に否定的であったと言えます。

だから釈迦は途中で山を降りて、菩提樹の下の瞑想によって悟りを開いたのです。

 

また、全くの貧乏人が「贅沢は敵だ」なんて言っても、負け犬の遠吠えのようで残念な感じがしますが、仏陀はその青年期を王族として過ごしていたわけですから、説得力がありますね。

四法印

四法印とは、仏教の基本思想です。

その名の通り4つあります。

諸行無常…この世にあるすべてのものは常に変化していて、不変のものは存在しないということ。平家物語の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり…」でお馴染み。

諸法無我…全てあらゆるものに絶対なことはないという考え。諸行無常と似ているけれど、無常の方は変化を肯定するニュアンスが強い。

涅槃寂静…欲や執着といった煩悩から離れることで平静で安楽な世界へたどり着けるという考え。煩悩のない安らかな状態を涅槃(ニルヴァーナ)という。

一切皆苦…この世は全て苦であるという考え方。四門出遊で見た、老・病・死は勿論苦であるし、また楽しいことや生きること自体も、いつかそれが終わってしまう(諸行無常)のであるから苦であるという。

以上が仏教の基本となる考え方です。諸行無常はよく聞きますよね。

一切皆苦はなかなかハードな考え方で、ニーチェのいうニヒリズムにも通づるところがあると思いますが、仏教はそこからどう生きるかというポジティブな面ももつ思想でもあると思います。

四諦八正道

仏教では、世界の真理として、「四諦」というものが語られます。

諦は諦めるという意味ではなく、明らかにするという意味です。

というか、諦めるという言葉自体、「原因を究明して自体を把握する」というニュアンスですので、元々の意味が共通しているんですね。

無理だということが明らかになるから諦めるわけです。

話がそれましたが、仏教の4つの真理、四諦は次のようになります。

苦諦…世の中は苦であるということ。

集諦…苦には原因があるということ。

滅諦…苦の原因を滅すれば苦も滅されるということ。

道諦…苦の原因を滅する方法のこと。

これは結構明るい内容ですね。

世の中が苦であるという苦諦は四法印でいう一切皆苦と共通していますが、ここではそれには原因があり(集諦)原因をなんとかすれば苦じゃなくなる(滅諦)とされています。

しかも苦の原因を滅する方法まで用意してある(道諦)というのがとても分かりやすくていいです。

この道諦の内容、つまりどうすれば苦を滅することができるかというのが八正道という考え方です。

以下の8つです。

正見…正しく真理を知ること

正思惟…正しく考え判断すること。邪な考えから離れること。

正語…嘘をつかず、良い言葉を口にすること。

正業…悪いことはせず、邪な行為をしないこと。正しい行動をとること。

正命…生活全体において正しい行動を心がけること。

正精進…悟りに向かって努力すること。

正念…正しい教えを心にとどめておくこと。

正定…瞑想すること。

これが現代の日本に生きる人にとって救いになるかどうかは分かりません。

そんなに的はずれなことはないと思いますが、かといって今の生活のストレスから逃げるためにまともに悟りを開こうとか、瞑想しようと思う現代人はそんなにいないんじゃないかと思います。

あくまで仏陀が説いた苦から逃れる方法というだけのことで、その社会背景が古代のインドであるということも事実です。

ここからさらに色々な仏教が派生していきますが、根っこはこの考え方で、これのヴァリエーションであるともいえます。

十二縁起

仏教には縁起の思想というのがあります。

現代でも日常生活で縁起という言葉は使われますね。「縁起を担いで~」とか。

その縁起は仏教用語から来ています。

 

縁起は「因縁生起」の略です。

あらゆる物事は、因(直接の原因)と縁(間接的な条件)があって生じるということを意味しています。

したがって、何かが単独で0から生まれたり、絶対何の影響もうけない不動の存在というものがないというのが仏教的考え方です。

全てはあらゆることが相互に影響しあい、常に変わっていく様相を呈しているということです。

 

この縁起を苦について説いたものが十二縁起です。

苦もまたこの世に存在することのひとつですから、当然縁起によって生じます。

その流れを12の段階で表しています。

  1. 無明…無知であること
  2. 行…無明な人がする行為
  3. 識…行によって得る間違った認識、識別意識。
  4. 妙色…識によって感じる肉体的、精神的な認識
  5. 六入…五感に意識を足した6つの感覚器官
  6. 触…六入によって妙色を感じ取り、外界と接すること
  7. 受…触によって起こる内的な感覚
  8. 愛…受によって感じたことに対して良いとか悪いと評価すること
  9. 取…欲したり嫌ったりすることへの執着
  10. 有…執着によって存在すること
  11. 生…生まれること
  12. 老死…老いて死ぬこと

まず初めに無知であることがあり、それから順番にたどっていった結果、生や老死といった苦が生じるという考え方です。

このように、生老死などの苦が発生する流れを説いたものを、順観といいます。

逆に、無明を滅すればドミノ倒し的に後ろの縁起も滅されていきますから、生老死を滅するためには無明を滅すれば良いという風にみることを逆観といいます。

仏教では、初めに生命があってそれがどうこうするということではなく、誤った考え方によって我々の意識であるとか生きている・死んでいるという観念が固定されてしまうという風に考えます。

全ては諸行無常、諸法無我というのが原則ですから、生きている・死んでいるというくくりもいわば暫定的なものに過ぎません。

ただし無明による因縁生起の結果、苦として認識される生や老死が生まれてしまうのです。

仏陀の死とその後

仏陀入滅

仏陀は80歳まで生きます。

当時としてはかなりの長寿だと思います。

35歳で悟りを開き、その後教えを広めた仏陀ですが、80歳の頃、パーヴァー村という村に着きました。

ここの鍛冶職人のチュンダという人が、仏陀一行を食事に招待しました。

食事を終えた一行ですが、そこで仏陀の様態が急変します。

完全に食あたりですが、仏陀は食事を施してくれたチュンダに気を使って、彼を責めないよう弟子に言いました。

さすが仏です。

 

仏陀は最終的に、クシナガラという国の近くの、サーラ樹の間で横たわりました。

弟子は、仏陀の供養について質問しました。どのように葬儀をすればいいのかということです。

それについて仏陀は、「葬儀は在家にまかせて出家したお前らは修行に励め」と言いました。

今でこそ出家したお坊さんにとって葬儀というのは身近なものですが、仏陀は出家修行者を葬儀に関わらせなかったというのは面白い事実だと思います。

悟りを得た人が死ぬことを入滅と言います。

悟りを開いた時点で煩悩の火は消えていますが、まだ肉体的な感覚は残ったままです。

入滅によって完全な解脱が完成し、生と死を超越することになります。

 

仏陀の遺体は在家のマッラ族によって火葬されました。

火葬ということで骨が残るわけですが、これで一回揉めます。

やっぱりみんな仏陀の遺骨が欲しいので、特に縁のあった8部族でこれを取り合いました。

結局、ドーナというバラモン(バラモン教の僧侶。偉い人)が平等に分け合うよう調停し、8つに分けられました。

 

遺骨のことをサンスクリット語で「シャーリラ」というそうですが、それが音写されて、仏陀の遺骨のことを「仏舎利」といいます。

仏陀入滅後

仏陀が死んだあとも、弟子たちはその教えを学び、実践し、広めました。

しかしただそれだけではいずれは廃れてしまうに決まっています。

そのため、弟子たちは仏陀の教えを整理し体系化しようと動き出します。

ただ、そうなったときにやはり弟子たちの解釈であったり、仏陀自身が矛盾したことを言っていたり、時代に合わなくなってきたりで結構また揉めます。

そうして弟子たちが方向性の違いで分裂していくことになり、分裂後の仏教を部派仏教の時代という風に呼びます。

部派というのはそれぞれ考えを異にする仏教集団です。

それはまた別の記事で解説したいと思います。

まとめ

仏教が成立するまでを早足で見てきましたが、いかがだったでしょうか。

釈迦が生まれてから仏陀となるまでの歩みが、そのまま教えに反映されているのがよく分かると思います。

僕は結構この初期仏教は理論的な考え方だと思っていて、その分宗教的な神秘性よりも実際的な生き方に関する面が強いと思います。

実際、色々な西洋哲学との類似が指摘されています。

宗教として見たときににそれがいいとか悪いとかそういう話ではありませんが、ここからさらに派生し、現代に至る仏教の流れでは、更に宗教的神秘的な色合いの強いものや、教義的に厳格なものまで様々あります。

やはり、生き方としていくら優れていても、神秘的なものの魅力というのには抗いがたいところもあるのではないでしょうか。

それに対して、常に参照され続ける原点としての初期仏教は非常に論理的な構築性と、歴史的な宗教的興味が多々あると思います。

 

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