仏陀の説いた自利行の精神を身につけよう【自利行のすすめ】

現代にも通用する仏教の考え方とは何でしょうか?

実は、仏教の教えの中には現代を生き抜くためのヒントがたくさんあります。

その中で今回取り上げたいのは、「自利行」という概念。

この考え方を持てば、きっと人より一歩前に進めること間違いなしです。

 

仏陀の説いた自利行

自利行と他利行

仏陀は自利行といって、自分のために修行し自分が悟りを開くことを説きました。

つまり、修行は自分のためにやるのであり自分が悟りを開くのが最終目標だったのです。

これは、一見すると自己中心的にも見えますよね。

実際、そう思われたのかもしれません。

のちの大乗仏教では、むしろ修行で他人大勢を救済するという利他行が説かれました。

仏陀が「自分が修行→自分が悟りを開く」という考えだったのに対し、「お経を唱えればみんな救われる」という方向にチェンジしたのです。

大勢を救済するという考え方の方が、大衆に支持されるのは言うまでもありません。

その流れで、大乗仏教は勢力を拡大していったのです。

と、こういう歴史の話は別の記事に詳しく書いてあるので興味がある方はそちらを参照いただいて。

【仏教の歴史】大乗仏教の成立 日本仏教にも繋がる大乗仏教について解説します!

今回は、初期仏教において仏陀が説いた、自利行の方に焦点を当てます。

 

仏陀は自利行で何を説いたか

仏陀の言葉をまとめた仏教の経典、「法句経」には、次のような言葉が残されています。

「自分の主は自分である。他人が自分の主であることがあるだろうか?」

つまり、自分を頼りにしろということを言っているのです。

 

自利行は身勝手な思想?

ここで気になるのは、やはり自利行が自分のことしか考えていないように映るということでしょう。

確かに自利行の考え方では他人のことは特に気にしていません。

仏陀自身も、悟りを開いてからその方法を他人に教えるつもりはなかったくらいです。

しかしここで着目してほしいのは、自分を恃むという部分です。

 

自分がやるということ

自利行では「自分が修行し自分が悟りを開く」を徹底しています。

これはものすごい当事者意識だと思いませんか?

だって、自分が修行しなかったら悟りが開けないで終わりだからです。

もしここで、中途半端に他人を救済するということができてしまうとどうなるでしょう。

おそらく、多くの人が他人を助けて満足するのではないでしょうか。

話を現代に戻しましょう。

例えば、学生が次のテストでいい点をとりたいとする。

そこである程度勉強して7割くらいは取れそうだとなったときに、どうするか。

友達に教えてあげるということが利他行にあたります。

友達の点数は少しは上がり、喜ばれることでしょう。

一方、自利行の立場では人に教えるということはありません。

ただし、本気で自分の勉強に時間を費やします。

さて、次のテストでいい点をとるのはどちらでしょうか?

 

自利行のすすめ

結局、最終のところは「自分がどうしたいか」なのです。

もちろん、先ほどの例で言えば友達に教えた方が周りからの信頼は高まるでしょう。

それももちろんいいことです。素晴らしいことだと思います。

一方、どうしても自分が達成しなければならない目標があるとき。

そこでは自利行にならざるを得ない場合があります。

そこで必ず達成するのと、「でも友達にも教えられて仲が深まったしまあいいや」となるのとでは大きな違いが生まれます。

利他行を自利行ができない言い訳にしてはいけないのです。

 

まとめ

自利行と利他行という二項対立はよく見られます。

例えば、グループの和を気にして言いたい意見が言えない場面。

これは、明らかに「他人への気遣い」=利他行を優先し、「意見を言う」=自利行をないがしろにしています。

しかし、利他行というのは確かに大義名分なのです。

だから、仏教は大乗仏教の方に流れたのです。

しかし、今一度初期仏教、仏陀の言葉を思い返してみると、何か発見があるかもしれませんね。