輪廻思想とは何か。初期仏教の生死観を読み解く

今日でも、「生まれ変わったら〇〇になりたい」とか、「前世はきっと〇〇だ」とかを言ったりします。

これは要するに今生きている自分の前にも自分は何かであって、今の自分も死んだら別のものになるという思想の表れです。

仏教を理解するにしてもこれは大事で、こういう思想を輪廻思想といいます。

 

輪廻自体は小説とかゲームのモティーフになったりして、なんとなく聞いたことがあるかもしれません。

ですが、それが実際どういうものなのかとか、なぜ今の私達にも馴染みがあるのかとかを、詳しく知っている人は少ないと思います。

そこで今回は、輪廻思想とはなにか、また、輪廻思想と仏教との関連について書いてみます。

輪廻思想の始まり

そもそも仏教は、仏教発足以前からインドに存在した、バラモン教を前提として生まれました。

そのため仏教にまつわるストーリーの中にバラモン教の神様が出てきたりということが多々あります。

今回取り上げる輪廻思想にしても、バラモン教の中にその萌芽を見ることができます。

バラモン教の話はいいから仏教について教えてって人は次の「仏教と輪廻」まで飛ばしてください。

バラモン教における輪廻

バラモン教には、ヴァルナと呼ばれる階級制度が存在します。

いわゆるカースト制で、4つの階級が存在します。

上から順に、バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラという身分で、それぞれに役割があります。

まず、バラモンは神々と通じることができる祭祀の役目です。

宗教においては神と親しい人というのが絶対的に偉いわけで、バラモンは一番上の階級です。

その下のクシャトリヤは戦士階級、ヴァイシャは平民階級、シュードラは奴隷階級という風に、身分と職業がはっきり分かれています。

さらに、シュードラ以下のパンチャラという階級もあり、これは不可触賤民、つまり最も底辺に位置します。

生きている間、ヴァルナは絶対で異なる階級に移動することはありません。

 

バラモン教の経典、ヴェーダには、死んだらまた世の中へ生まれ変わるという輪廻転生(サンサーラ)が説かれています。

バラモン教では、生きているうちに業(カルマ)と呼ばれる、行動の結果みたいなものが生じると考えられます。

良い行いをすれば、善の業が、罪を犯せば罪の業が生じます。

そして、それは死後引き継がれるという風に考えます。

つまり、自分がどこの階級にいるかというのは、前世でどういった行いをしたかの結果であり、今善行を積めば次にはより良い階級に生まれ変わるのだと考えます。

仏教と輪廻

仏教は、古代インドに生まれたものですから、当然バラモン教の世界が下敷きになっています。

輪廻が当然あるものとして、仏教はどのような立場をとったかというと、仏教はこれを否定します。

 

仏教には四法印というのがあります。

諸行無常…この世にあるすべてのものは常に変化していて、不変のものは存在しないということ。

諸法無我…全てあらゆるものに絶対なことはないという考え。諸行無常と似ているけれど、無常の方は変化を肯定するニュアンスが強い。

涅槃寂静…欲や執着といった煩悩から離れることで平静で安楽な世界へたどり着けるという考え。煩悩のない安らかな状態を涅槃(ニルヴァーナ)という。

一切皆苦…この世は全て苦であるという考え方。四門出遊で見た、老・病・死は勿論苦であるし、また楽しいことや生きること自体も、いつかそれが終わってしまう(諸行無常)のであるから苦であるという。

の4つからなる、仏陀の教えです。

この観点からすると、輪廻は否定されるのです。

 

まず、輪廻が存在するとして、ある特定の魂(主体)に、カルマが引き継がれて生まれ変わるという、「我」の恒常性が前提になります。

これでは、諸法無我における、「絶対にずっと存在することはない」という考えと合致しません。

また、現世で徳を積めば次はより高次に到れる…というのは、まるで終わりがなく走り続けるマラソンのようで、とても苦しい考え方です。

仏教では、輪廻の輪から外れる=解脱することを目標とします。

あくまで輪廻を前提とした上で輪廻から解脱せよというのが、仏教の教えです。

 

これは、仏陀が説いた初期仏教の考え方で、中国や日本に至った仏教はそもそも輪廻の考え方が浸透していなかったりなどし、また別の生死観が形成されています。

例えば、浄土信仰では死後、信仰し修行した者は極楽浄土に行けるという話に変わってきます。

 

まとめ

以上、古代インドのバラモン教~初期仏教を通じて、輪廻と解脱ということをテーマに考えてみました。

生まれ変わりというのは今の時代でもよく言いますが、そのルーツを知る手がかりになれば幸いです。