「色即是空」「空即是色」とは何か!?仏教の思想を取り入れて視野を広げるには

今日、視野を広くもつというのは大切なことです。

ずっと昔なら、教会や王様、日本なら天皇や幕府が絶対で、それに従っていればよく、

時代が経つにつれてそれが政府や会社へと変わっていきました。

しかし、今は様々なイデオロギーが混在しており、「自分で自分の行動を決める」必要がある社会になっていると思います。

それに伴って、学校教育が否定されたり、終身雇用が信用されなくなったりといったことにも繋がってきますが、そこで必要なのは様々な思想を知ることです。

仏教の思想というのは、多くの場合学校で習わないにも関わらず、日本人の思考の仕方に大きく関係しています。

今注目されることの多いリベラルアーツのひとつと言えるかもしれません。

 

という前置きがあって、今回は仏教の特徴的なものの考え方として、「色即是空」「空即是色」について書きたいと思います。

僕自身、この考え方にとても影響されていて、仏教を学んで良かったと思える点の一つです。

人によっては、生きるのが楽になるかもしれませんね。

 

色即是空 空即是色の意味

色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき)という言葉は仏教では非常に有名なので、聞いたことがあるかもしれません。

これらの言葉、区切り方としては「色、即是、空」「空、即是、色」です。

即是というのは要するに「これすなわち」くらいに思ってもらえればいいので、

「色=空」「空=色」みたいな関係になります。

 

じゃあその色と空はそれぞれどういう意味なのかという話ですが、

色…この世の物質的なモノ

空…実体がないこと

ということです。

つまり、色即是空は「この世の物質的なモノには実体がない」

空即是色は、「実体がないからこそ現象としてモノが存在している」

ということになります。

 

これは感覚的には理解しがたいかもしれません。

だって、間違いなくそこの机は机として確かに存在しているし、物質的なモノといえば動物だってそうですが自分というのは確かに存在しているわけです。

実体がないということはどういうことなのでしょうか。

空という思想がどのようにしてできたのかを見ながら考えてみましょう。

空の概念のルーツ

空という言葉が出てきたのは、仏陀の死後すぐの初期仏教の時代ではなく、大乗仏教が興ってからになります。

大乗仏教の重要な経典、「般若経」において説かれました。

(大乗仏教の流れについてはこちらで簡単に説明していますので是非お読みください!)

【仏教の歴史】大乗仏教の成立 日本仏教にも繋がる大乗仏教について解説します!

では、空の思想はどういう経緯で生まれたのでしょうか。

副島正光氏は著書「大乗仏教の思想」で次のように述べています。

仏教思想史的に見るとき、結局般若経典の空は、正しい縁起の考え方を再説していると見られる。

つまり正しい縁起の考え方は、いかなる実体をも立てない見方であったからである。

出典:大乗仏教の思想 副島正光

つまり、空の思想は縁起説からきていると考えて良いようです。

縁起説とは、「世の中のことは原因があって、はじめて結果が起こる」という考え方です。

逆に言えば、「原因がなくなれば結果もなくなる」という思想です。

原因には、因と縁があり、

因…その元々の起源、材料。

縁…因に及ぼされる何らかの作用

であって、因縁によってなにか結果が引き起こされると考えます。

初期仏教においては、十二縁起という形で、世の中の苦の原因が無明(無知なこと)が原因だという教えが説かれたのも、縁起説のひとつです。

縁起説にたって考えれば、先程の問「机はここに間違いなく机として存在してるじゃないか」ということについても、

それは元々木と金属(もっと言えば水素とか炭素とか鉄とかの分子)=因が、たまたま切り出され組み立てられた=縁から机となったのであって、未来永劫机なわけでもないし、机であらなければいけない理由もどこにもないということになります。

つまり、机というのは一つの状態に過ぎないわけです。

そういう、因と縁によって形作られているだけで、実体というのが存在しないという考え方を、「空」と呼んだのです。

空を説いた経典

空を説いたのは、大乗仏教の経典以降ということになります。

今回とりあげた「色即是空」「空即是色」は「般若心経」という経典に書かれている一節です。

ここで、般若心経をもう少し引用してみます。

觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

(中略)

色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。

3行目に色即是空空即是色が出てきていますね。

その前と後に注目してほしいのですが、「照見五蘊皆空」と「受想行識亦復如是」とあります。

これが次のポイントになってきます。

一応この部分をなんとなく訳すと、

「観自在菩薩が般若波羅蜜多の修行をしてた時、『五蘊』がみな空であると知って、悟りを開いた。

(中略)

世の中のモノは実体がなく、実体がないからモノとしてある。受想行識もまたそうである。」

って感じになります。

ここで見てほしいのは、色だけではなく、「五蘊」が空であると言っているところです。

空性は色についてだけ説かれているわけではないのです。

色即是空には続きがある

般若心経では、「五蘊」が空であると述べられています。

では、五蘊とは何でしょうか、

五蘊はこの世の中のすべての物を5つに分類したものです。

五蘊は色受想行識の5つに分かれます。

色…先程書いたように、物質的なもの

受…人間が受ける感覚的なもの。

想…見たり聞いたりしたものを像として思い浮かべること。

行…意志の働き。

識…物事を分類して見ること。観察。

つまり、色は世の中の物事、他の4つは人間の心の働きについて述べたものです。

般若心経では、この五蘊について全て空であると言っています。

我々から見た外側の世界だけでなく、自分自身の心すらも空であると言い切っているのです。

 

ここから見るに、人間を形作る性格とか、行動とか、能力とかいったものについても、縁起説を適用することができます。

なんとなく現代的に読み替えてみると、例えば「あの人は性格が悪い」とか、「自分は能力がない」とかいうようなことも、全て最初から未来永劫決まっていることではないと考えられます。

それらも全て、因縁によって今そのような状態に見えるだけであって、因と縁に目を向ければ、人もまた変わっていくのかもしれません。

まとめ

以上、「色即是空」「空即是色」について解説してみました!

今の社会では、「これは絶対こう」という風に決めつけてしまうと、頭の固いという風にとられがちです。

空の思想が頭の片隅にあれば、柔軟な発想で生きられるかもしれませんね。